イランの2大観光都市 イスファハン&シーラーズを歩く / Esfahan & Siraz (Iran)

海外旅行

イランを旅行する際、必ず訪れるべき場所がイスファハンとシーラーズ。

古くからの繁栄を示す歴史的な建築物が残されているほか、今でもイランの主要都市として人々の暮らしの重要な場所であり続けている。

旅してみると、様々な発見や驚きがあり、きっと自分の知らなかった世界を見ることができると思う。

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イスファハン / Esfahan

イスファハーンについて

古くからの政治・文化・交通の拠点であり、16世紀末にサファヴィー朝首都に定められ発展した。当時の繁栄は「エスファハーンは世界の半分(Esfahān nesf-e jahān ast、エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン)」と賞賛され、この街を訪れたヨーロッパの商人も繁栄の記録を残している。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。

wikipediaより引用

”イスファハンは世界の半分”という言葉を初めて耳にしたのはいつのことだっただろう、中学の歴史の授業だっただろうか。初めて聞いたときのその言葉の響きと壮大さは強烈に印象に残り、それ以来イスファハーンはいつかは行ってみたい憧れの場所になっていた。

きれいな朝焼けの中をバスは進み、早朝7時ごろにイスファハーンのバスターミナルに到着。タクシーの客引きを完全に無視し、市バスで宿へ。泊まった宿はAmir Kabir Hostel。リーズナブルで対応も良く、バックパッカーのイスファハーンでの定宿のようだ。ザックを預けて散歩。

ホステルの中庭

イマーム広場


イスファハーンの繁栄の象徴が、 世界遺産イマーム広場。

迷路のように入り組んだバザールを抜け北門をくぐると、南方にイマームモスクがそびえ立つのが一際目を引く他、東には兄弟モスク、西には宮殿が広場を見下ろしている。中央には噴水広場が広がっており、夕方になると沢山の人々が憩いに集まってくる。

イスタンブールのブルーモスクやトプカプ宮殿、グラナダのアルハンブラ宮殿などこれまで目にしたイスラム建築に比べると、建物の壮麗さという点では劣ると感じたが、それでも青を基調としたタイルに彩られたモスクはとても美しかった。

広場自体も時の流れによる風化を感じたが、それでも芝生や生垣は手入れされたもので、周りには絨毯屋や装飾品、菓子店がびっしりと軒を連ねていて活気がある。


広場をふらふらしていると、ツーリストが珍しいのか、いろんな人から声をかけられた。近くに店があるからお茶を飲みに来ないか、とか、英語を勉強中だから話し相手になってくれないか、とか。大抵はほとんどが客引きなのだが、イランでは違う。普通に雑談して、エンジョイ!といって去っていく。

たまに豆知識とかも教えてくれたりもする。ミナレット(尖塔)は宗派によって異なる、とか、イマーム広場の東西南北の建物は、それぞれ”science””religion””politics””economy”を意味する、だとか、広場の大きさは中国の天安門広場に次いで世界で2番目に大きいだとか。

街を歩いていても、”ハロー””ウェルカム”と子供から老人までが商売気なく声をかけてきて、びっくりするぐらいフレンドリーだ。もちろん中には中国人を揶揄する言葉を投げかけてくる人(主に若者)もいるが。


夕方頃になると、日中の厳しい日差しを避けて屋内にいた人々が大勢集まり始め、芝生に敷物を敷いてピクニックを始めた。昼間はどこにいたのだろうというほど大勢が広場に出てきて、ワイワイとリラックスしている。夕焼けはクリーム色がかっており、あまり見たことのない色だった。

19時を回るとモスクがライトアップされる。写真を撮り、ベンチでしばらくのんびりとした後は、徒歩で有名な二つの橋を見に向かった。

スィー・オ・セ橋とハージュ橋

街の南方を流れる川に架かる橋で有名なのはスィー・オ・セ橋とハージュ橋。石造りのこれらの橋は、夜になるとライトアップされる。川は枯れていたので、川底まで降りて橋を見ることができた。真っ暗になった夜8時過ぎに訪ねたが、びっくりするほど人が多かった。

写真を撮っていると1人のおじさんに話しかけられた。エスファハン出身の彼はとても教養豊かな人物で、7ヶ国語を操り中東諸国についても深い造詣をもった人物だった。ハージュ橋では7つの時間帯で橋のどこかにロウソクの影ができることを教えてくれたり、イスファハーンについての散文を見せてくれたり。7ヶ国語操れるなんて凄いですねと褒めたところ、”だろ?でも金は稼げないんだ”と嘆いていた。

シーラーズ / Siraz

シーラーズについて

紀元前700年ごろから栄えた強大なアケメネス朝ペルシア帝国の中心地であり、約2500年前の都ペルセポリスの遺跡が、シーラーズ市から北東に60kmのところに残る。フィルーザバードやパサルガド(パサルガダエ)の遺跡も同じくアケメネス朝時代のものである。7世紀ごろに、アラブ人が勢力を拡大し、ブワイフ朝で都となり、モスクや城壁などが整備される。 ホラズム・シャー朝セルジューク朝の領地となり、チンギス・カンの軍勢の侵攻ではこの地の地方長官が降伏する。13世紀以降、シーラーズは学問の中心地となり、詩人サアディーやハーフィズ、哲学者モッサー・マドラーらを輩出し、芸術や文学が花開いた。

wikipediaより引用

2日間を過ごしたイスファハーンを後にし、夜行バスでシーラーズへ向かう。シーラーズはイスファハーンから南にバスで6時間走ったところにある地方都市。近郊にはアケメネス朝ペルシアの首都ペルセポリスの遺跡も残されている。個人的にはシーラーズという街の名前の響きがどこかロマンチックで気に入っている。



バスは6時間ほどでシーラーズのカランディッシュバスターミナルに到着。そこからタクシーでNiayesh Hotelへ向かう。タクシーはチケット制で100,000リエル。10分足らずで到着した。


宿は迷路のように入り組んだ細い路地にあった。外観は味気ない土壁の建物だが、中に入ってみるととても雰囲気の良い中庭があり、部屋はステンドグラスから差し込んでいて綺麗だった。
シーラーズには古代遺跡やモスクなどの観光スポットが多くある。代表的なものは以下の通り。

シャー・チェラーグ廟


街の中心部にある大きな廟。入場は無料だが、写真を撮る場合はガイドをお願いしなければならない。(ガイドも無料)また、神聖な場所の写真を商業的な目的で使用させない理由で、一眼レフは預けなければいけなかった。


青を基調としたタイルとペルシア語の詩のレリーフが美しい門をくぐると、広場に出る。噴水の奥まで進み振り返ると、目の前には大きな廟がそびえ立っていた。2本のミナレットの間には巨大な青い球体の屋根。廟の前にはたくさんのムスリム達がおり、祈りを捧げる準備をしていた。残念ながら内部には入れなかったが、神聖な場所の空気を肌で感じることができた。

イマーム・アリ・ビンハムザ


シェー・チェラーグ廟のおいに当たる廟。こちらは内部を見ることができる。もちろん無料。内部は壁と天井一面が鏡で装飾されており、天井から下がるグリーンのシャンデリアの光を反射している。とても幻想的な空間だ。

また、シスターがとても親切で、お茶とお菓子を無料で出してくれ、シーラーズの見所について色々教えてくれた。イスラム教の教えについても、重要な一節をコーランから抜粋して説明してくれた。

マスジェデ・ナスィーロル・モスク


別名ローズモスク。シェー・チェラーグ廟から徒歩5分ぐらいの距離にある。朝、日が低い時間帯に訪れると、ステンドグラスから射し込む朝日が色とりどりにモスク内部の壁や絨毯を染める様子を見ることができる。150,000リエル。

ペルセポリス


アケメネス朝ペルシアの首都として栄えた古代都市の遺跡。敷地内には数々の遺構が残り、当時の街の様子に想いを馳せる事ができる。何ともロマンのある場所だ。シーラーズから1時間程度。バスとタクシーを使えば安く行けるが、15ドル程度の価格のツアーもあるらしい。(Tafa Hotelのツアー)時間と残金の関係で割愛せざるを得なかったが、いつか訪れたい。

バキル・バザール


シーラーズ最大のバザール。骨董品、装飾品、衣服、革製品、絨毯と何でもあり、見ていて飽きない。シェー・チェラーグ廟の北東の道路を挟んだ向かい側一帯に広がっている。客引きは気さくでそれほどしつこくないので、空いた時間によく散歩していた。

おわりに


かつて世界の半分の富を集めたと言われるイスファハーン。繁栄は過去のものだけど、当時を伝える建築は今に残されていた。何より印象的だった場所はやはりイマーム広場。本当に大勢の人が広場に集い、団欒している様子には驚いた。これほど庶民の生活に溶け込んで憩いの場として定着している世界遺産も珍しいと思った。


歴史と文学が融合した街シーラーズは、上記以外にも見所がたくさんあり、モスクのシスターからはハーフェズ廟やゴラン門などもおすすめされた。人もフレンドリーで親切で、よい滞在だった。

一般的にイランは物騒な印象もあり、訪問するハードルは低くない。しかし、西洋化が過度に進んでいないイランならではの人々のライフスタイルや人懐っこさは、イランにしかないもので大変興味深かった。また、治安に関しても、有名な観光都市を回る限りでは、特に危ない目にあうこともなく、平和な印象だった。人生で一度は足を運ぶ価値のある国だと感じた。

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